第6話

第6話

 フローラの父の弔問、そして次兄・ウィリアムの葬儀が終わりエドリックとフローラはレクトへと戻ってくる。その道中の五日間を含め、レフィーンに行ってからフローラは毎日エドリックの腕に抱かれ眠っていた。
 そしていよいよ、レクトに戻れば……結婚して四カ月でようやく初夜を迎えるのだろう。レクトへ到着したその晩、フローラは胸がドキドキとしていた。
 侍女のアンも、それを察しているようである。入浴中、フローラはアンに尋ねる。

「エドリック様は……その、どのようにお考えなのかしら……」
「勿論、早くフローラ様の肌に触れたいと……そうお思いかと思いますよ。フローラ様はお気づきではなかったかもしれませんが、エドリック様は随分前からフローラ様に特別なお気持ちを抱いていたように私は思います」
「そう、かしら……」
「はい。例の日課に口づけが加わったあたりから……」
「そ、そんなに前?」
「えぇ。そうでなければ、エドリック様があんな提案はなさらないかと思いますが」

 驚くフローラに対し、アンはクスクスと笑う。確かにアンの言う通り、そうでなければ口づけを日課になんて提案はそもそもしてこなかったかもしれない。
 だとすると彼にはもう、一月ほどフローラへの手出しを我慢させていたことになる。エドリックはそんな素振りは一切見せなかったし、だからこそフローラは気づかなかったのもあるが……

「……私、エドリック様の事が好きです。エドリック様も、同じように思ってくださっているのかしら」
「えぇ、それは勿論そう思います。そうでなければ、こんなにもフローラ様の事を優しく、大切に扱ってくださいません」
「そうよね……私も、そうは思っているの。でも、私の自惚れなんじゃないかって……」
「もっとご自分に自信を持ってください。ほら、フローラ様はこんなにもお美しいのに」

 湯から出て、まだ濡れたままの裸体が鏡に映る。ロウソクのぼんやりとした明かりがフローラの身体を照らし、光と影を生んだ。
 身体に残った水滴が明かりにキラリと反射して、さながら幾多の照明に照らされた舞台の上に立つ、皆が憧れる煌びやかな舞台女優のようであっただろう。

「……私、少し胸が大きいので……下品な身体だと、幻滅されないかしら」
「そんな事は絶対にありませんので、ご安心ください。それに男性は、豊かな胸が好きだと言いますよ」
「でも、それはあくまで『そう言う人が多い』と言う統計的な話でしょう? エドリック様は、違うかも……」

 とにかく、フローラにとってはエドリックに嫌われたり幻滅されるのが今一番怖い事だ。男女の営みの事なんて、フローラにはその知識はない。国を出る前乳母に色々と教わってはいたが、人それぞれ好みもあるだろうしなんでも教科書通りと言う訳にはいかないだろう。
 湯から出て、アンが髪と身体を拭いてくれる。用意された寝巻はいつも着ているものよりも少し胸元の開いた生地の薄いもの……それにガウンを羽織らせてもらって、それからフローラはすうっと深呼吸をした。

「……エドリック様をお呼びしましょうか?」
「いいえ、私がエドリック様のお部屋に行きます。アン、今日もありがとう。今日はもう下がって良いわ」
「はい、フローラ様。……頑張ってくださいね」
「え、えぇ……」

 アンにそう励まされ、フローラは部屋を出た。隣のエドリックの部屋の扉をコンコンと拳で軽く叩けば、エドリックの『どうぞ』と言う声がした。

「エドリック様……」
「あぁ、フローラ。待っていたよ。こっちへおいで」
「……はい」

 長椅子に腰かけて本を読んでいたエドリックが、手前の机に本を置いて手招きする。フローラは少し顔を赤くしながら、エドリックの隣に腰かけた。エドリックはさも当たり前のようにフローラの腰に手を添え、身体を抱き寄せる。

「……良い匂いがする」
「は、はい。その、身を清めてきましたので……」
「入浴した事は、まだ乾ききっていない髪を見ればわかるよ」

 エドリックの手が、優しく頬を撫でる。なんだかくすぐったくて思わず身をよじらせれば、エドリックはフローラの額に優しく口づけた。

「……あ、あの……エドリック様」
「何だい?」
「そ、その……わたくし、緊張していて……」
「どうして?」
「は、初めてですから……その、何をどうしたらいいのか……」

 そう言うと、エドリックはきょとんとした顔をした後フッと笑った。何が可笑しいのかと、フローラは思いながら眉を下げる。
 ごめんごめんと言いながら、エドリックはフローラの頬に口づけた。

「レフィーンから帰ってくるのに、馬車で五日も揺られていたんだ。滞在中だって休まらなかっただろうし、疲れているだろう?」
「それは、そうですが……」
「だから、今日は寝よう?」
「そ、そうですか? ですが、その」
「焦らなくていいよ。それとも、私の事を野獣か何かだと思っているのかな」
「そんな事、思っていませんわ。……エドリック様」

 エドリックはフローラの唇に、自分のそれをそっと重ねる。短い口づけ。エドリックは立ち上がって、フローラに手を差し出した。フローラはその手を取って、立ち上がる。
 彼に促されるまま寝台に入り、暖かい腕に包まれる……。布団の敷布は毎日交換されているしこの数日は不在にしていたから真新しいもののはずなのに、寝台全体からエドリックの匂いが香るような気がしていた。

 翌朝、エドリックと朝食を食べているとエミリアが少し遅れてやってきた。彼女はフローラの顔を見るなり、やんちゃな子猫のような笑顔を見せる。

「お義姉様、おはよう。戻っていたのね」
「エミリア様、おはようございます。えぇ、昨晩戻りました」
「久々にレフィーンへ帰ってどうだった?」
「とても懐かしかったです。レクトに来てから、たった四カ月なのに……」
「今度私に、ゆっくりレフィーンの話を聞かせて?」
「はい、勿論です」

 エミリアは相変わらず、エドリックはいない者のようにフローラとしか話さない。よほどエドリックの事が嫌いなのだろうと言うのがわかるのだが……エミリアとエドリックが仲良くしてくれればいいのにと思う。
 ……自分と死んだウィリアムが仲良くできるかと言われれば、絶対に仲良くすることはできなかったが……そう考えると、二人の仲を取り持つのは相当難儀な事であると思わざるを得ない。
 エドリックも、エミリアと仲良くできるのならそうしたいと言っていた。二人の仲を取り持つことがフローラの使命な訳ではないが……できる事なら二人には仲良くしてもらいたいし、どうにかエミリアがエドリックに抱く嫌悪感を払拭できないものかと思うが妙案は浮かばぬままだった。

「……兄様は、今日から仕事に行くの?」
「あぁ、勿論。予定よりも滞在が長引いてしまったし、今日から行かないと父上にどやされてしまう」
「……じゃ、お義姉様。あとでお茶しましょ?」
「えぇ、わかりました」

 エドリックが今日も休暇なら、夫婦の時間の邪魔をするのは悪いとそう思っての事だったのだろう。フローラとしては、長旅の後なのだから今日くらいは休めばいいのにと思ったのだが、そうはいかないらしい。
 朝食の後仕事へ向かうエドリックを見送って、部屋へ戻って少しのんびりとする。フローラもまだ少し疲れているし、思う所だってある。
 エドリックの香りが残る寝台に寝転んで、目を瞑って……仕事へ行ってしまった愛しい人の温もりがまだかすかに感じられる布団を抱きしめた。

「昨日は、お義姉様も兄様の部屋で寝たのね」
「えぇ。レフィーン滞在中に、同じ部屋で寝ることになって……それで、こちらに戻って来てもそうしようと」
「……お義姉様は兄様の事、好きなの?」
「え? どうしてそのような事を?」

 午後になって、エミリアにお茶菓子の準備ができたからと庭でのお茶会に誘われた。使用人にお茶を淹れてもらい、一口飲んですぐにエミリアは確信めいた事を聞いてくる。

「だって、顔も名前も知らなった政略結婚じゃない」
「それはそうですが……」
「好きじゃないなら、一緒に寝るのは嫌でしょう?」
「今だから言いますが……私、結婚してすぐにエドリック様に惹かれていましたのよ。エドリック様にとってはレフィーンとつながりが欲しかっただけ……ただそれだけの結婚だった事はわかっています。私の父だって、グランマージ家と繋がる事がレフィーンの利になると思ったからこそ求婚を受け入れ、私を送り出した」
「……」
「でも、エドリック様は私の事をまるで宝物を扱うように大切にして下さった。政略結婚で一番大切なのは、私が早くエドリック様の子を産むことだと言うのに、エドリック様は事を急ぎませんし……」
「……本当に不思議な人よね、兄様って。自分で政略結婚を持ち掛けたくせに、子供を急がないだなんて」
「えぇ、ですがエドリック様もお考えがあるようですし……」
「……それで、子作りは解禁したの?」
「え?」
「だって、一緒に寝るってそう言う事でしょう?」
「ま、まだです……」
「……そうなの?」

 エミリアはきょとんと、不思議そうな顔をする。確かに今までは寝室を分けていたしそう言う機会はなかったのだから、一緒に寝るようになるという事はそう言う事だろう。
 フローラもてっきり、昨夜とうとう彼に抱かれるのだと思ってドキドキしていた。彼は当初フローラと共寝をしない理由を『何も知らない男に抱かれるのはフローラが嫌だろう』という事と、エドリック自身の気持ちとして『何も知らないフローラの事を、今はまだ抱きたいとは思えない』と言うような事を述べている。
 フローラはその事を思い出せば、共寝は良いがまだその気にはなっていないのかと……それはエドリックが、単にフローラに女としての魅力を感じていないからなのではないかと……

「……この間私、子供ができるために何をするのか初めて知ったの。乳母から聞いたわ。なんだか話を聞くだけで怖くて、お義姉様が経験したのなら感想を聞こうと思ったの」
「お力になれず申し訳ございません、私もまだで……。でも、私もエミリア様と同じです。怖いと、そう思っています」
「やっぱり、そうよね? 怖いわよね? 私もあと二年弱でレオンと結婚することになっているけれど……結婚したらそんな事をすると思うと、今から震えが止まらないの。昨日レオンが来ていたけど、その事を考えるとレオンの顔をまともに見られなかった」
「エミリア様……」
「それに、レオンだって成人した男の人だもの。昨日だっていつもの通り優しく微笑んでいたけれど、本当はいやらしい事を考えているのかもなんて思ったら、なんだかすごく気持ち悪くなってしまって」
「……そのような事は、考えるだけでも神の教えに反します。レオン様のようなご立派な方が、神の教えに反する事を考える訳がないですわ」
「そうなのかしら……だって、考えるだけなら誰にもわからないわ。皆が兄様のように、他人の心を覗けるわけではないのだから」

 エミリアはどうやら、性の事で悩んでいるようで……いくらエミリアがレオンの事を心底好いているとは言っても経験した事のない閨事の事を考えるのは恐ろしければ、自分をその対象に見られるも嫌悪の対象となってしまうのだろう。
 エミリアの気持ちはわからないでもない。フローラも初めはそうだった。十四、五の頃乳母に教わった時にはとても信じられないと思ったものだ。だが、今は違う。
 勿論怖いは怖いのだが……今は早くエドリックに触れたいと、そして触れて欲しいと思う。昨夜が初夜になると思っていただけに、その期待を裏切られたことは残念でもあった。
 閨事を期待しているなんて知られたら、ふしだらな女と幻滅されてしまうんじゃないかと……その不安は持ちつつも、やはり関係を持たねば正式な夫婦とは言えないとも思うのだ。フローラは早く、名実共に彼の妻と言えるようになりたい。
 それに、何よりも……子供が欲しい。もちろん政略結婚の関係性をより強固にするため、ではない。愛する人と自分の間に子供が生まれたら、それは一体どれほど幸せな事なのか……それが知りたい。
 自分自身、きっと望まれて生まれた子供ではなかった。愛人関係なんて、それこそ禁欲と節制を強いた神の教えに反するもの。教会が禁ずる『快楽を目的とした行為』の末に、自分は生まれたのだろう。愛し合う男女の元に、望まれて生まれた訳ではない。
 だからこそ愛する人と子を望み、子が生まれたらたくさんの愛情をもって育てたい。あなたはお父様とお母様に望まれて生まれてきたのよと教えて、世界で一番幸せな家庭を築きたい。

「……エミリア様、心配はいりませんわ。レオン様は何よりも誰よりも、エミリア様の事を大切にしていると聞いています。エミリア様が嫌がるような事や、傷つける事は絶対にしないでしょう」
「うん、それはわかっているのだけれど……」

 早く一線を越えたいと思っているが、まだ不安なフローラが言えるのはそれだけ。それも、自分自身へも言い聞かせているようだった。エドリックだって、絶対にフローラが嫌がる事や傷つける事はしないだろうから……

 その日の夜、食事も入浴も終えフローラは再びエドリックの部屋へ。昨日同様エドリックは長椅子に座ってはいたが、昨日と違い何か書類に目を通しているようだ。

「何を見ていらっしゃるのですか」
「……君が見て面白いものではないよ。明日の裁判の資料だ」
「裁判……」
「……あぁ。これは明日の朝、裁判の前に確認しよう。折角君が部屋に来てくれたのに、こんな胸糞悪くなるようなものは見ていたくない」

 エドリックはそう言って書類を机の上に置くと、フローラを抱きしめる。そのまま口づけられたと思えば、その口づけは……いつもとは違って、深く情熱的な物だった。

「ん……っ、んん……」
「フローラ。私は、君を愛してる」
「エドリック様……」

『愛してる』と、エドリックはそう言った。嬉しくて嬉しくて、目頭が熱くなって……すうっと、大きな瞳に溢れた涙が頬を伝ってゆく。
 フローラの涙にエドリックは驚いたように慌てながら言った。

「泣かないでくれ、フローラ。……泣くほど嫌かい?」
「違います。もう、エドリック様……わかっていらっしゃるくせに。やっと言ってくださったのが、嬉しいんです」
「ごめんよ、フローラ。……私は嫌われ者だから、君からの好意を感じていてもどうにも自分に自信がなくて。君に愛を伝える勇気がなかった、私が臆病なだけだ」
「そんな事、ありません。……私もお慕いしております、エドリック様」
「……ありがとう、フローラ」

 もう一度、エドリックがフローラに唇を重ねる。彼の舌がフローラの口内に滑り込んでくれば、フローラもそれに応じた。彼の動きを真似するように舌を絡める。不慣れな深い口づけに、息継ぎが上手くできない。
 エドリックに強く抱きしめられ、フローラも手をエドリックの背に回す。唇がゆっくりと離れると、舌と舌との間に一本の細い銀の糸。それがぷつりと切れたのを合図に、フローラの身体が宙に浮いた。

「エ、エドリック様。一人で歩けますわ」
「私が君を寝台まで連れて行きたいんだ。すぐそこだよ」
「……はい」

 フローラは顔を、耳まで真っ赤にしながら頷く。ちらりとエドリックの顔を覗けば、彼の顔はいつもと違って見えた。
 切れ長の綺麗な淡い緑色の瞳が、熱を帯びている。見た事のない雄の顔に、フローラの身体が本能的に熱くなって、なんだかウズウズとして……今からこの人に抱かれるのだと、そう思うだけで心臓が破裂しそうな程に早く動いている。ドクンドクンと脈打つ音が聞こえるのだ。
 ゆっくりと寝台に下ろされ、エドリックがシャツを脱ぐ。思っていたよりも厚い胸板が、フローラの目に入った。熱を帯びた瞳がフローラをじっと見つめながら、大きな手がフローラの肌に触れる。ゆっくりと、羽織っていたガウンに手が掛けられた。

「エドリック様、明かりを……」
「消さないよ。突然誰かが入ってくることもないだろうけど、天蓋の帳は降ろしたし……万一誰かが来ても、君の肌は誰にも見えないから安心して」
「で、でもエドリック様には……」
「私に見られることを、恥ずかしがる必要はないだろう? 夫婦なんだし……それに、お互い様だろう? 私は、もう上は脱いだよ」
「だ、男性は脱いでも恥ずかしくないかもしれませんが……!」
「そんな事はないよ。私はレオンのような肉体美を持っている訳ではないし」

 何を言っても、エドリックは引かないだろう。胸元を手で押さえるが、エドリックはフローラの手を掴むと優しく動かす。エドリックはもう片方の手で、器用にフローラの寝巻を肌から滑らせていった。

「それに、君の裸は侍女がいつも見ているだろう? 君の入浴も着替えも、彼女らがやっているんだから。君は子供の頃からそうやって育っているはずで、人に見られるのには慣れてるだろう。恥ずかしいなんて、私に見せられない理由にはならないよ」
「そ、それはそうですが……女性に見られるのと、男性に見られるのでは……あっ」
「……綺麗だよ、フローラ」

 そう言ってエドリックは、露になったフローラの肌に口づける。手で唇で舌で……エドリックに触れられるたび、自分でもどこから出しているのかわからない甘い声が漏れた。
 恥ずかしいと思い声が漏れないようにしていたのだが、エドリックは『もっと聞かせて』と言う。フローラは、エドリックに求められるまま彼の愛撫に溺れた。
 ……初めては痛いと聞かされていたので身構えていたが、想像以上に痛くて押し殺した声は悲痛な物だっただろう。エドリックはフローラが痛みを堪えている事に申し訳なさそうにしていたが、何度も耳元で愛を囁き肌に口づけ……優しくしてくれたのは間違いない。
 事が終わって、彼の腕に抱かれていれば……呼吸を整えた後で、フローラの頭を優しく撫でながらエドリックは言った。

「ごめんね、痛かったね」
「はい……でも、私これでやっとあなたの本当の妻になれました。嬉しいです」
「あぁ、そうだね。私も嬉しいよ。……君の初めてを私がもらったと言うのを君の身体に刻みたくて敢えて痛みを残したけど、実は痛みを感じなくさせる魔法がある」
「そ、そうなのですか」
「うん、だからごめんね。慣れるまでの間は痛いって聞くし、次からは魔法をかけるから安心して」

 そう言ってエドリックは、フローラの額に口づけた後……身体を起こし、フローラに覆いかぶさる。

「え、エドリック様……?」
「もう少し付き合ってくれるかい?」
「は……はい」

 フローラは顔を赤くして、消え入りそうな声で返事をする。エドリックはフローラの返事を聞いて優しく微笑んで、そしてフローラに甘い口づけを落とした。
 いつもよりも少し低い声で、何度も何度も愛してると耳元で囁かれ……フローラとエドリックの境目が曖昧になってぐちゃぐちゃになって、彼の背中に腕を回して強く抱き着いていないと溺れて堕ちてしまいそうで。
 薄く瞳を開けばいつもより余裕のない彼の表情が愛しくてたまらなくて……幸せな気持ちで胸がいっぱいになったまま、エドリックの胸の中で一夜を超えた。

 翌朝、部屋の扉がコンコンと叩かれて目を覚ます。エドリックも同様のようで、目を覚ました時は裸で抱き合ったまま。
 エドリックがフローラに『おはよう』と言って、返事をする前に唇と唇が触れ合う。それからエドリックは『入っていいよ』と言った。まだ、服も着ていないのに、だ。
 扉を開けながら『失礼します』と言う声は、アンのもの。フローラの身支度をしに来たのだろうという事は想像に容易い。

「おはようございます、エドリック様、フローラ様」
「あぁ、おはよう。フローラは昨晩少し無理をさせてしまったから、まだ休ませてあげて」
「え……あ、はい。畏まりました」
「フローラ、私は仕事に行くから君はゆっくり身体を休めて。見送りはいらないから」
「はい。い、行ってらっしゃいませ」

 エドリックは寝台から降りるとさっと身支度を整えてから天蓋の帳を除けて部屋を出て行く。彼の言葉ぶり、そしてフローラがまだ裸のままで居る事で……昨夜ついに一線を越えたという事がアンにも露見して顔から火が吹き出そうだ。
 もちろん今のエドリックの態度がなくても、アンはすぐに察しただろう。だが、それでも……

「エドリック様の、ばか……」

 フローラは顔を真っ赤にして眉を下げながら、ぽつりと呟く。その様子を見て、アンは笑った。

「フローラ様、まだ少し眠りますか?」
「……えぇ、もう少し眠ろうかしら。エドリック様ってば、昨夜は中々寝かせてくださらなくて……」
「それはそれは……。フローラ様、寝巻とガウンをどうぞ」
「ありがとう」
「……エドリック様は初い少年のようですね」
「え? 何が、ですか」
「フローラ様の身体の、いたるところに口づけの痕が……」
「ま、まぁ……!」
「自分の物だと言う、男性の主張ではありますが……」

 アンはそう笑いながら、フローラに寝巻とガウンを着せる。夕べは明かりを点けていたと言っても暗かったし、そもそも事後の自分の身体なんて確認しない。
 胸元や腕、腹にまで口づけの痕が残っているのは自分でも確認できたが、鏡を見ると首筋にも紅い花が散っていた。アン曰く、背中にも。これでは『昨夜エドリックに抱かれました』と、そう言って回っているようなものだ。

「アン、今日の服は首元が隠れる物を用意しておいてくれるかしら……」
「畏まりました」

 フローラは再び寝台に横になる。エドリック様の馬鹿と、そう頭の中で思いながらも……自分は彼の物だとそう主張されるのが嬉しいと、口元を緩めながらもう一度目を瞑った。

 まだ二十歳になる前の若い二人。想いを燻らせていた数カ月……やっと通じた想いを確かめ合うのに夜は短すぎた。
 それからと言う物の、エドリックは毎朝きちんと仕事に行くがきっと毎日寝不足だろう。フローラはエドリックを見送った後もう一度身体を休める事ができるものの、彼はそうはいかない。
 完璧主義者のエドリックの事だから、寝不足だからと仕事の手を抜く事はないだろう。支障が出ては困るからと夜早めに寝る事を提案しても、エドリックに求められればフローラは流されてしまっていた。
 今日もエドリックに愛の言葉を囁かれながら、頭の中が真っ白になってエドリックの事以外は何も考えられなくなっても止まらない。
 だが、それはなんだかんだ……とても幸せな日々だっただろう。

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