第4話

第4話

 フローラがグランマージ家に嫁いで三か月、雪が解けて春がやってきた。色とりどりの花があちこちに咲き乱れ、庭の花壇もとても美しい。
 だがエドリックとの関係は相変わらずではあったし、寝室も分けたままで夫婦生活の誘いがある訳でもない。
 思っていた結婚生活とはずいぶんと違ったが、それでもフローラはすっかりグランマージ家の一員となり、幸せな毎日を送っていたと言えるだろう。
 優しく真面目で、いつもフローラを気遣ってくれる夫。可愛い義妹も仲良くしてくれているし、義父母もフローラの事をいつも気にかけてくれる。
 生まれ育ったレフィーンの家族とは過ごした事のない、穏やかな日々だった。
 嫁いできた頃は冬で雪が積もっていたが、その雪が解けた頃に植物図鑑がグランマージ家に届いた。結婚した初日に、エドリックが注文してくれると言っていたものだ。
 仕事から帰ってきたエドリックに、フローラは早速その図鑑を見せた。

「やっと届いたのか。ずいぶんと時間がかかってしまったね」
「えぇ、でも雪も解けましたしちょうど良いです。早速今日、お庭でこの図鑑に載っているものと同じお花を見つけましたわ」
「そうか。気に入ってくれたかい?」
「はい、とても。あの、エドリック様。この図鑑が届いたら秘密の場所へ連れて行って下さると……そう仰っていたのを覚えていますか?」
「あぁ、もちろんだ。次の休暇の日、天気が良かったら行こうか」
「はいっ」

 そう話してから五日後。エドリックは休暇を取ってくれた。その日とても天気が良く、朝から眩しい太陽が気持ちよく辺りを照らしている。
 前日の夜から、翌日の昼食用にとエドリックは厨房に頼んで弁当も用意してくれたらしい。フローラはエドリックと共に外に出ると、エドリックは馬車ではなく馬を選んだ。

「馬車で行くわけではないのですか?」
「あぁ、道が狭いから馬の方が良い。……私はいつも一人だから馬で向かう事をさほど気にしていなかったが、君も一緒なら馬車の方がいいのか……だが、あの道を馬車で通れるかな」
「あの、エドリック様。私、一人で馬に乗れませんので……」
「私の前に乗ると良い。最初からそのつもりだったけど、嫌かい?」
「そ、そんなとんでもない! 大丈夫ですわ、馬で参りましょう」

 エドリックは馬番に手綱を持たせると、二人乗り用の鞍を馬の背に乗せひょいっと馬に跨る。
 続いてフローラも踏み台に上がって、エドリックがフローラを抱き上げるように引っ張ってくれた。
 馬の背に、横向きに座れば視界が高い。

「では、行ってくる」
「エドリック様、奥様。お気をつけて」

 馬番の男にエドリックは言って、馬をゆっくりと歩かせる。フローラは、子供の頃父に馬に乗せてもらったことは何度かあるが、それきりだ。
 エドリックは普段から馬で城まで行き来しているし、馬を歩かせる事くらいどうって事はないのだろうが……
 フローラには新鮮だった。馬の背に乗った視界の高さも、その不安定な揺れも……

「私に身体を預けていいよ。きっとその方が楽だから」
「……はい」

 そう言うエドリックの胸に、身体を預ける事も。馬に乗って進めば、少しだけ城下の人たちの視線を感じる。
 馬に乗って移動している人もいるがそう多くはないし、男女の二人乗りと言うだけで目立っている。
 また『ジルカ男爵だ』と言う人の声も聞こえるが……フローラも、その声の事はもう気にしない事にしていた。自分が何を言っても、広まっている噂が消える事はない。
 だが、やはりいい気はしない……手綱を握るエドリックの手に、自分の手をそっと重ねた。

「どうしたんだい? 怖いかい?」
「いいえ、そんな事ありませんわ。こうしてあなたの胸に身体を預けていれば、怖い物なんて何もありません」
「……そうか。目的地までは少し時間がかかる。景色の移り変わりを楽しんで」
「はい」

 向かう先は、王都の東側に広がる森だった。その森は城壁の内側にある事から、魔物が出る心配もないとの事である。
 エドリックは『少し』と言ったものの、体感的には結構長い事馬に揺られていたような気がするが……木々が多くなってゆくにつれ道は細くなっていき、次第には道そのものが無くなった。
 確かに、これでは馬車では通れないだろうと……フローラは納得する。背の高い木が光を遮っていたが、その合間から一直線に流れ落ちる木漏れ日もまた美しかった。
 明るい日差しが差し込んでいるせいか、エドリックと共に居るからか……森の奥へ進むことへ、不安は一切感じない。

「着いたよ」
「まぁ……本当に綺麗な場所ですね」

 エドリックが馬を止め、先に馬から降りる。フローラが降りるために手を貸してくれるが、一度抱きかかえられるような格好となった。
 毎日触れているが、彼に抱きかかえられることに対しては少しだけ抵抗があった。重くないかと、その不安のせいだ。
 地面に下ろされた時に、重くなかったかと聞こうと思ったが……エドリックは嘘をつかないだろう。正直に重かったと、そう言われたら立ち直れないかもしれないと思って聞くのはやめた。

「ほら、ここに座ると良い」
「ありがとうございます、エドリック様」

 エドリックは馬に乗せた荷物の中から大きな布を取り出し、開けた場所に倒れていた木の上に敷いてくれる。
 フローラがそこに座れば、エドリックもその隣へ。美しい泉のほとり……ゆったりと、静かに時間が流れるのを感じた。
 フローラは辺りを見渡して、レフィーンでは見た事のない色々な花を見つける。エドリックからもらった植物図鑑を取り出して、その花の名前を探した。
 エドリックはそんなフローラの事を優しい眼差しで見つめていて……ふと目が合った時に、照れくさくて目を逸らしてしまった。

「え、エドリック様……あの」
「なんだい?」
「あ、あそこに小鳥がいますわ」
「本当だね」

 ピュウと、エドリックが口笛を鳴らす。そうすると、小鳥はこちらに向かって飛んでくる。エドリックが手を伸ばせば、彼の指先に止まった。
 野生の鳥がこんなにも人に近づくなんて、フローラには信じられない事だ。だが、エドリックの表情はいつもの通り。

「君には言ってなかったかな。私は人間以外の動物とも、意思疎通ができる」
「そ、そうだったのですか」
「あぁ。この辺りの鳥も、何度も話している。人間の友人はレオンくらいしかいないけれど、ここの鳥たちは皆友のようなものだ」
「……そうなのですね。小鳥さん、いつもエドリック様と仲良くしてくださってありがとうございます」

 ピピっと、小鳥は小さく鳴く。エドリックの手の上で鳴く小鳥の姿は、とても可愛らしいと思った。
 フローラが触ろうとして逃げないだろうかとゆっくり手を伸ばしてみるが、小鳥はその場を動く事なくフローラは小鳥の頭を撫でる事が出来た。感動である。

「今、鳴いていましたが何か言っていたのですか?」
「久々に来たと思えば、女連れでどうしたんだって言ってる」
「まぁ。では、私があなたの妻であると、教えてさしあげないと」
「そうだね。私は結婚したんだよ、綺麗な女性だろう?」
「まぁ、エドリック様ってば……」
「え? えーと、困ったな」
「どうかなさいましたか?」

 エドリックの言葉に反応するように、小鳥は何度か鳴き声を上げる。エドリックは本当に困ったように眉を下げていた。
 小鳥が何を言ったのか、フローラにはわからないが……それを聞いてみると、エドリックはフローラから目を逸らしながら言う。

「口づけくらい見せてくれないと信じないって、そう言ってる」
「……!」
「……どうしようか」

 夫婦となって三か月。口づけすらも、まだだった。だがフローラはエドリックともっと近づきたいと思っているし、実際のところ肌を重ねる事も、そろそろ良いのではないかと……そう、思っていたりもする。
 エドリックがどう思っているかはわからないし、夫婦生活のためにはまず一緒に寝るところからだろうだが……

「エドリック様は……私と口づけるのはお嫌ですか」
「……嫌じゃないよ。君は?」
「私も……嫌じゃ、ないです」

 顔が赤い。頬だけではなく、顔全体が……耳まで赤くなっているのを感じる。フローラはエドリックの顔を覗き込むように見るが、彼のその顔もほんのりと朱に染まっているように見えた。
 彼の手が、フローラの頬に添えられる。親指が、ゆっくりとフローラの唇をなぞり……思わず『あっ』と、小さな声が出た。
 エドリックは少し熱っぽい瞳でフローラを見つめたまま、言った。

「……無理していないかい?」
「していません。エドリック様こそ……」
「私は、嘘はつかないよ。……目を閉じてくれるかい?」

 フローラは、エドリックに言われた通り目を閉じる。静かな森の中で……自分の心臓の音だけが騒がしい。
 もしかしたら、この心臓の脈打つ音がエドリックにも聞こえているかもしれないとそう思う程だ。
 涼やかな風が木々の間を通り抜け、草花を揺らしたその瞬間。エドリックの唇が、フローラの唇に重なった。
 それは、本当に僅かな瞬間……時間にすれば、恐らく一秒か二秒くらいの一瞬の出来事。
 唇が離れてゆくのと同時に、ゆっくりと瞳を開けば……そのままエドリックに抱きしめられる。口づけの直後の、彼がどんな顔をしているのかは見られなかった。

「エドリックさま……」
「今、この顔を君に見せる訳にはいかない。表情が落ち着くまで、少し待って欲しい……」
「……はい」

 フローラも、自分の真っ赤な顔を見られるのは恥ずかしいと思っていたところだ。
 エドリックの肩越しに、彼と二人で乗ってきた馬が雑草を口に含みモグモグとしながらこちらを見ているのが見えた。
 小鳥と馬と……初めての口づけは、彼らに見守られながらの事だった。

「おかえりなさい、お義姉様。今日はお義姉様がいらっしゃらなかったから退屈だったわ。……何かあったの?」
「い、いえ何でもないのです!」

 夕方になって屋敷に戻れば、広間で会ったエミリアがそう言う。あの後は持参したサンドウィッチを二人で食べたが、少しばかり二人ともぎこちなかった。
 口づけを交わしたとは言え、好きだと……そう言ったわけではない。彼からそう聞いたわけでもない。口づけは嫌じゃないと、互いにそうは言ったが想いを確かめ合ったわけではなかった。
 だが、口づけが嫌ではないと……その言葉が、互いの気持ちの答え合わせには十分かもしれないと、フローラは思った。
 でも、それでも……彼の口から『好きだ』とそう言ってもらえなければ、彼の気持ちはぼんやりとしたままだとも考えられる。
 彼にとっては、ただ夫婦であることを証明するための事だったかもしれない。
 潔癖だと言う彼が、口づけくらいは良いと思ってくれるのであれば嫌われてはいないだろうが……それでも『好きだ』と、そう言ってくれないとフローラの自惚れの可能性が否定できない。
 フローラは、先ほどからずっと……エドリックの事が好きだと、そう考えている。エドリックがフローラの心の中を読んでくれれば……この気持ちはきっと伝わるのに。

(エドリック様……むやみやたらに人の心を覗く事はしないと、そう仰っていました。私の気持ちを覗く事も、きっとしていないのでしょうね)

 彼の真面目な姿勢は嬉しいが、同時に……今この心を読んでくれればどんな顔をするだろう。何を言ってくれるだろうと、そう思う。
 もしも気持ちが同じならば、それはどれだけ嬉しい事かと……

 夕食の後、エドリックと共に部屋へ向かう道を歩く。そして部屋の前まで来れば抱きしめられる……それはいつもの事だった。

「フローラ、君さえ嫌じゃなければ……この日課に、今夜から口づけも足していいだろうか」
「え?」
「嫌かい?」
「いいえ、嫌ではありません。嬉しいです」

 答えるフローラを、エドリックはとても優しい眼差しで見つめていた。愛しいと、そう思わずにはいられない。
 昼間、彼の秘密の場所でそうされたように……エドリックはフローラの頬に手を添え、親指でその唇をなぞった。
『目を閉じて』と、エドリックが言うのと同時にフローラは瞳を伏せ……次の瞬間、唇に柔らかいものが触れる。エドリックの唇だと、確かめるまでもない。
 一瞬で離れれば、また強く抱きしめられた。だからフローラも、その背をぎゅっと強く抱く。
 一部始終を見ていた侍女のアンは、恐らく『早く同衾すれば良いのに』とそう思っていた事だろう。
 だが今まで男性と縁がなかったフローラも、女性と遊んでこなかったエドリックも、互いに異性にどう接していいかわからなかったのだ。
 異性と遊ぶ事も恋愛もしてこないで、二人は夫婦になった。だからお互いに、この先へはどうやって進めば良いかわからない。
 初々しい二人は、次に踏み出すその一歩も随分とゆっくりとしたものだっただろう。
 だが、それでも……確実に歩みは進んでいる。一歩一歩、歩みは遅くても二人の夫婦としての距離はどんどん短くなっていた。

「夫人、エミリアを待つ間ご一緒させてもらっても良いだろうか」
「まぁ、レオン様。いらしていたのですね」

 数日後、フローラは庭で刺繍をしていたのだが……そこにやってきたのはエミリアの婚約者で、エドリックの親友でもあるレオンだった。彼とはこの三か月で何度か顔を合わせている。
 レオンの事をエドリックは『格好良くて、紳士で立ち振る舞いも上品で、間違いなく国で一番モテ男だ』とそう評していた。
 婚約者であるエミリアも彼の事をベタ褒めだったし、心底彼の事を好いているのだろうと言うのは傍目にもわかるほどだ。
 だからどんな人なのだろうかと思っていたのだが……初めて会った時には、あまりの眩しさに目が眩みそうだった。
 エドリックは当初『君が彼に惚れたら困るから、できるなら会わせたくない』なんて言っていたのだが、彼のその姿を見てエドリックの言った言葉も納得ではあった。
 もちろんフローラはエドリックの妻であるし、レオンは義妹であるエミリアの婚約者。彼に好意を抱くとか、そう言った事は全くないにしても、だ。

「あぁ。来たのは良いが少し早すぎたようだ。まだ礼法の授業中らしい。父から菓子を持たされたから、ぜひ食べてくれ」
「まぁ、とても美味しそうな焼き菓子ですわね。アン、レオン様にお茶を用意してくださるかしら」
「はい、フローラ様。レオン様、どうぞこちらにお掛けください」

 レオンがフローラの正面に座る。相変わらずキラキラとしていて眩しいと、フローラはそう思いながら刺繍の道具を片付けた。
 彼と話をするときはいつもエミリアと一緒で、二人で話をするのは初めてで……何の話をすれば良いかと考えていれば、先に口を開いたのはレオンの方だった。

「夫人は……舞踏会の話は聞いているだろうか」
「舞踏会……? いいえ、聞いておりません」
「やはりか。三日後に、王太子殿下主催の舞踏会が開かれる。殿下はエドも招待しているはずだが……」
「……エドリック様は、そういった場所は苦手なのでは……」
「あぁ、確かにそうだ。だが、今までは『私と踊ってくれるご令嬢はおりませんので』と断っていたようだが……いよいよその言い訳も通用しないだろう」
「た、確かに……妻である私がおりますし、私は身籠っている訳でもありません」
「全く……招待状が出たのは先週の話だ。夫人に話をしていないところを見ると、不参加を決め込むつもりだろう。参加するよう、夫人からも言ってやってくれないか」
「わかりましたわ。今日、戻られた時にその話をいたします」
「頼む。夫人も、まだ陛下や殿下にお会いしていないのだろう? 夫人のお披露目にも丁度良い機会だ」
「レオン、お待たせ」

 話が一区切りついた時、ちょうどエミリアが庭にやってきた。彼女は礼法の勉強をしていたという事だが、教わったばかりの礼法など忘れてしまったかのようにいつも通りである。
 挨拶をするときはスカートを少し持ち上げて礼をするだとか、その礼の角度だとか……フローラも厳しく教えられたものだ。歩く時だって大股では歩かないとか、決して走ってはいけないとか……
 言葉遣いだって、エミリアと言えばそこらの町娘のように砕けている。勿論お嬢様として振る舞わねばいけない時にはお嬢様の『フリ』はきちんとするが、そうでなければ随分と自由にしているようである。
 レオンはそんなエミリアに礼儀がなってないと怒るような事はしないし、そう言う振る舞いのせいで二人の婚約が破談になるという事も一切ない。
 本当なら、エミリアの態度と言えば伯爵家の令嬢としては品がなく、それを相手の家が良く思わないと言う事だってあるだろう。

「何の話をしていたの?」
「今度の舞踏会の話だ。エドは夫人に伝えていなかったみたいだな。不参加を決め込むつもりだっただろうから、参加するように言ってやって欲しいと言っていた」
「お義姉様が頼んだところで、兄様が参加するかしら……」
「人が多いと『雑音』も多いからな。だが、流石に断り続ける訳にもいかんだろう。今度の舞踏会は、王太子殿下の誕生日を祝うものでもある。正当な理由もなく断っては失礼だと、あいつだってわかっていると思うが」
「エミリア様も、参加されるのですか?」
「えぇ、もちろんよ。私も舞踏会は苦手だけど……私が行かないと、レオンが壁の一部になってしまうから」
「婚約者(きみ)がいるのに、他の女性と踊る必要はない。それに、私が他の女性と踊ろうものなら魔法が飛んできそうだ」
「そんな事しないわよ」

 エミリアは頬を膨らませる。レオンとエミリアは本当に仲睦まじいと、そう思ってフローラは笑う。
 舞踏会……フローラももちろん、舞踏はできる。公女として育ったからには、やはり礼法や舞踏は必修科目であった。
 だが、本格的な舞踏会に参加するのは初めてで、エドリックを誘うのは良いが上手く踊れるかと言う心配は当然ある。
 エドリックが参加を承諾してくれれば、舞踏の練習もしなくてはと……

「では、夫人。舞踏会に参加するよう、エドリックには言ってやってくれ。私たちはこれで失礼する」
「えぇ、わかりましたわ。レオン様、ごきげんよう」
「じゃあね、お義姉様。レオンと出かけてくるわ」

 席を立つレオンに手を振って、庭から通りの方へ向かう二人の背を見送る。レオンがエミリアの腰に手を添えるのはとても自然だったし、エミリアもそれが当たり前のようであった。
 幼い頃から婚約者として育ってきた二人には、何も特別な事ではなかったのであろう。
 それからフローラはまた刺繍を再開する。暗くなる前に屋敷の中へ戻って、今度は小説を読みながらエドリックの帰りを待つ。
 エドリックは少し遅いようで、レオンと夕食を済ませたエミリアが先に戻ってくるほどであった。
 帰ってくる気配がないため、入浴も先に済ませる。腹は減っているものの、できれば夕飯はエドリックと食べたいともう少し帰りを待つことにし……いい加減夕食は先に食べてしまおうかと、そう思い始めた時に丁度エドリックが帰ってきた。

「フローラ、待っていてくれたのかい? 今日は随分と遅くなってしまったから、お腹も空いただろう?」
「えぇ、先に食べてしまおうと思っていたところです。でも、ちょうど帰って来てくださいましたので、一緒に食べられますね」

 フローラがそう言って笑えば、エドリックも微笑みを返してくれる。二人で食堂へ行って、かなり遅くなったが夕飯を出してもらった。

「今日はどうかされたのですか」
「近隣の村が魔物に襲われたと言う話が入って、急遽魔物退治に出ていたんだ」
「そうだったんですの……お怪我はありませんか?」
「大丈夫だよ、心配しないで」

 言いながらエドリックは、焼いた肉を切って口に運ぶ。フローラはそんな彼の姿を見ながら、温め直してもらったスープをスプーンで掬う。
 スープをごくりと飲み込んで、それから改めてエドリックに向かい直した。

「今日、レオン様がいらしていました」
「あぁ、今日は非番だったみたいだね。レオンが今日非番でなければ、もう少し早く帰って来られたんじゃないかな」
「それで、レオン様から……今度舞踏会があると伺いまして」
「……どうせ私にも参加しろと、そう言っていたんだろう?」
「えぇ。王太子殿下の誕生日のお祝いですから、正当な理由もなく欠席するのはどうか……と、そう仰っていましたわ」
「それはわかってるんだけどね。想像つくだろうけど、私は人の多い場所が苦手でね」
「えぇ、それはわかるのですが……それに私、まだ陛下や王太子殿下にお目通りしていませんの。あなたの妻として、紹介頂く良い機会ではございませんこと?」
「それも確かに、ね。言いたい事はわかるけど」
「……もちろん無理強いは致しませんが、前向きにご検討くださいませ。出席するなら出席するで、私も準備がございますし……」
「そうだよね。……では少しだけ、参加しようか」
「本当によろしいんですか?」
「あぁ。でも、あまり長くいるつもりはない。一、二曲踊ったら帰らせてもらおう」
「わかりました。……エドリック様、私もレフィーンの公女として育った以上踊りはもちろん嗜んでおりますが、舞踏会前に一度あなたと踊りたいです」
「そうだね。明日はできるだけ早く帰ってくる。明日練習しよう」

 エドリックとそう約束して、翌日。フローラはまず舞踏会へ着ていくためのドレスを選んだ。
 舞踏会用のドレスはレフィーンから何着か持ってきていたし、レクトに来てから『一応』と言って新しく仕立てた物も二着ほどある。
 フローラはエドリックが着る礼服を先に選んで、彼の礼服に合わせて自分のドレスを選んだ。エドリックは顔も整っていれば、それなりに身長も高い。
 普段着ている服も似合っているが、礼服となると更に男前に磨きがかかるだろうと……選んだ礼服を着る夫の姿を想像すればフローラは胸が高鳴る。
 エドリックが帰宅する前に、フローラは先にドレスに着替え化粧や髪型も整えた。何分、女性の準備には時間がかかるのだ。
 フローラの準備が終わって間もなくエドリックが約束通り早めに帰宅し、フローラは着飾った姿でエドリックを出迎える。
 彼は舞踏の練習だけのつもりで、衣装合わせまで予想していなかったのかもしれない、目を丸くしていた。

「おかえりなさいませ、エドリック様」
「あ、あぁ……ただいま」
「……どうかされましたか?」
「いや……着飾っているなと思って。君は普段からとても美しくて可愛らしいけれど、着飾ると更に磨きがかかるね」
「まぁ、エドリック様ってば……」

 彼は女性と遊んでこなかったという割には、さらりとこういう言葉を言ってしまう。
 嘘でもいいから似合うとか、綺麗だとか、女性は言って欲しいものだが……彼は嘘をつかないと公言しているし、この言葉はきっと本心から言ってくれている言葉なのだろう。
 嬉しいが、照れくさい。フローラは頬を少し赤くしながら、フローラの横に立つエドリックの顔を覗く。

「本当の事だよ」
「……嬉しいです。エドリック様のお召し物も私選んでいまして、このドレスはそれに合わせたつもりなのですが」
「そうか、では私も着替えた方が良いね」

 エドリックはそう言って、早速部屋へ向かい着替えるとそういった。エドリックの着替えが終わるのを自室で待って、すぐに彼は着替えてフローラの部屋の扉を叩いた。
 扉を開けると、そこに立つエドリックの姿と言えば……想像していた通り格好良い。素直に惚れ直したと、そう言っても差し支えないだろう。

「どうかな」
「素敵ですわ、とても」
「ありがとう」

 エドリックがさりげなく腕を動かす。フローラはその腕を取って、広間へと向かった。使用人達はその二人の姿を見て、皆ため息を吐く。美しいと、皆そう思っていた事だろう。
 特に今まで舞踏会への参加を渋っていたエドリックが、フローラの一声で舞踏会への参加を決めた事は今日使用人達の話題になっていたほどである。
 エドリックが滅多な事では他家と交流をしない事に頭を悩ませていた義父母も、一体何を言ってエドリックをその気にさせたのかと感心していたようだった。

「フローラ、少し待ってもらえるかな。帰りがけに、今日君と練習がてら踊ってみると言う話をしたら、レオンも後で来ると言っていて」
「え、そうなのですか」
「あぁ。多分もうすぐ来るとは思うけど……少し事務仕事が残っている程度だって言っていたから」
「それでしたら、エミリア様にもご準備して頂いた方が良かったのでは……」
「いいよ、エミリアは普段着で。レオンだって軍服のままだろうし」
「……私、一人で張り切ってしまいましたか?」
「そんな事ないよ。あぁ、でも」
「でも?」
「先に君のドレス姿を確認できてよかった。母が青いサファイアの首飾りを持っているから、それを借りよう。このドレスにはあの首飾りがきっと似合う。誰か、母上に言って青いサファイアの首飾りを借りてきてもらえないか」

 確かに首元は少し寂しい感じはしていた。だが、義母の首飾りを借りるなんて良いのだろうかと、フローラはエドリックの顔を覗く。
 エドリックは『心配いらないよ』と、そう言うように微笑んで、首飾りとレオンの到着を待った。
 その間に、エミリアも広間にやってくる。彼女もレオンが来ると今聞いたばかりのようで、寝耳に水と言った表情だった。

「お義姉様、とっても可愛いわ」
「ありがとうございます、エミリア様」
「当日は、お義姉様と色が被らないようにしましょ」
「被っても良いのでは? 仲良し姉妹と言う感じがします」
「あ、確かにそうね! じゃあ同じような色にするわ」

『仲良し姉妹』と言う言葉に、エミリアが反応してくれたことがとても嬉しかった。自分自身姉とは仲良くできなかったから、エミリアとは仲良くしたい。
 いや、十分仲良くしてくれているとは思っているが……それは自分がそう感じているだけではなかったという事が、わかったから。

「エドリック様、お母上の首飾りです」
「あぁ、ありがとう。フローラ、付けさせてもらえるかい?」
「は、はい」

 エドリックの手がフローラの首元を横切る。首飾りを付けてくれるその手に、ドキドキとしていれば……エドリックは優しく微笑んだ。

「ほら、やっぱり似合うね」
「本当、可愛い!」
「そ、そうでしょうか。ありがとうございます」

 照れ臭いと、そう思っていればレオンもグランマージ家にやってきた。昨日ぶりに会うが、軍服姿のままでも彼は様になる。やはり眩しい……

「遅くなってすまない」
「大丈夫、今我々も準備が終わったところだ。音楽は?」
「楽師さんに来て頂いていますわ」
「そうか。ではフローラ、手を」
「はい、エドリック様」

 差し出された右手の上にフローラは左手を乗せる。彼の左手がフローラの腰を抱き、フローラは右手をエドリックの胸に添えた。
 じっと見つめ合うのは、少し照れ臭いが……呼んでおいた楽師が音楽を奏でるのに合わせ、一歩足を踏み出す。
 踊るのは久々で、かなり不格好だったかもしれないが……それでも、なんとなく踊る息が合うのと同時に心も一つに重なり合ったような……そんな気がした。

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